都市ボーイズが語る『The VVitch(The Witch)』――最恐の魔女映画と“ホラー史上最恐シーン”the witch


目次

1. 導入(企画趣旨と今回のテーマ)

タイトルが「The Witch」であるため、別の同名作品を連想するが、ここで取り上げたいのは2015年制作の『The VVitch(The Witch)』である。


2. 作品の立ち位置(一般的な魔女ホラーとの差)

早瀬さんは本作を、いわゆる分かりやすい恐怖演出で押す“普通の魔女映画”とは異なるタイプだと説明する。物語は静かに進み、派手に煽るよりも、じわじわと状況が悪化していく構造に特徴があるという。ここを理解して観るかどうかで、受ける印象が大きく変わる、という前提を置く。


3. あらすじの出発点

物語は、敬虔なキリスト教徒の一家が、教義解釈の相違のような問題をきっかけに、村(共同体)から追い出されるところから始まる。父親は「自分こそが正しい」という姿勢で共同体と折り合えず、結果として家族全員が辺境での自給生活を余儀なくされる。都市ボーイズは、ここで既に“孤立と貧困”が確定しており、恐怖の土台が整っていると語る。


4. 辺境生活の厳しさ(飢えと閉塞が生む不安)

森のそばに小屋を建て、畑を耕し、大家族で生き延びようとするが、食糧事情は苦しく、生活は最初から綱渡りになる。都市ボーイズは、この「追い詰められた状態」が、後の疑心暗鬼を加速させると整理する。恐怖の原因が外から来るのか、内側で増殖するのかが、ここから曖昧になっていく。


5. 決定的事件(赤ん坊の消失)と“魔女”への結び付き

物語序盤、子守中の“いないいないばあ”のような一瞬のやり取りの中で、赤ん坊が突然いなくなる。家族は狼の可能性を口にするが、土地には魔女伝説があるため、「魔女ではないか」という疑いが強く立ち上がる。都市ボーイズは、この作品の肝は「魔女かどうかを即断できない」点にあり、普通の不幸の連続を“魔女のせいにしたがる”心理が露出していくところが怖いのだ、と述べる。


6. 不運の連鎖と内部崩壊(魔女か偶然か、判別不能のまま進む)

以後、不可解な出来事が続くが、「魔女のせいか、人間側の崩れかが分からない」状態が持続すること自体が恐怖だと語る。敬虔であるがゆえに「こんな不幸が起きるはずがない」という矛盾が生まれ、矛盾の説明として“魔女”が便利に呼び出される。その結果、家族は原因を外部に求めるだけでなく、互いに疑いを向け合い、家の中が疑心暗鬼で満たされていく。


7. ネタバレ前提の整理(長女・双子・ヤギ等、疑いの焦点)

ここで「ネタバレする」と明言し、長女(演者としてアニャ・テイラー=ジョイに言及)を中心に、双子、家畜、そして“ブラック・フィリップ”といった要素が、疑いの焦点として機能していく流れを語る。誰が魔女なのかが確定しないまま、家族が互いに押し付け合うことで、状況が回復不能な方向へ進むのが本作の残酷さだ、という趣旨である。


8. 「ホラー史上最恐シーン」についての語り方(驚かせるのではなく、刺さる)

本題として、都市ボーイズは「単に驚かせる演出」ではなく、「人が亡くなる場面」が強烈に記憶へ残るタイプの恐怖だと述べる。見せ方は派手さよりも、積み上がった不穏の末に“取り返しがつかないものが起きる”という重さであり、そこがトラウマ性につながるという評価になる。説明しにくいが、聴いているだけでも想像できる部分と、うまく言語化できない質感が混ざっている点を、むしろ長所として語る。


9. 結び(静かな進行と、古い物語を現代で作る発想)

終盤、都市ボーイズは本作を「静かに進むのに、最後まで不気味さが落ちない映画」として改めて推し、映画好きなら考察の余地も多いと締める。その後の余談として、日本にも昔からある分かりやすい神話・昔話の類を、現代の予算と技術で映画化すれば新しい“強さ”が出るのではないか、といった話題に広げて終了する。


映画 The Witch (2015 film)(表記:The VVitch)情報

『The Witch』はロバート・エガース脚本・監督のフォークホラー(民間伝承ホラー)作品で、舞台は1630年代のニューイングランド、森の外縁で暮らすピューリタン一家が“森の向こうの悪意”に蝕まれ、やがて互いを疑い始める物語として要約される。長女トマシン役のアニャ・テイラー=ジョイをはじめ、家族の閉鎖系が崩れていく過程を緊密に描く点が特徴である。

制作面では、当時の生活感・宗教観を軸にしたリアリティ志向が強く、言語も初期近代英語(Early Modern English)とされる。タイトル表記を「VVitch」とする意匠も、当時の文献に見られる綴りに基づく、という説明がある。結果として、恐怖が“現代的な演出”というより、共同体と信仰の圧力が生む歴史的な悪夢として立ち上がる点が、作品の独自性になっている。


魔女狩りの歴史

「魔女狩り(witch hunts)」は、近世ヨーロッパから英領植民地期にかけて広がった迫害・裁判の連鎖で、特にヨーロッパでは16〜17世紀にピークがあり、地域差はあるものの総計で多数が裁かれ、処刑も相当数に及んだとされる。重要なのは、現代の視点からは“魔女という概念そのものが社会不安の受け皿になった”と読める点で、噂・対立・恐怖が制度(裁判手続)と結び付くことで、疑いが現実の死に転化した。

魔女像は時代と地域で揺れるが、近世ヨーロッパでは「害をなす呪術(maleficium)」の実行者という理解に加え、「悪魔と契約する集団(悪魔崇拝)」という観念が強化され、夜会(sabbath)や変身、飛行などの要素が組み合わされていった。こうした観念は民間伝承だけでなく、宗教的・法的な言説によっても補強され、共同体内の不幸(病、飢饉、家畜の死、家族の不和)が“説明可能な敵”として魔女に集約されやすくなった。

この流れを象徴する文書の一つとして、15世紀末の『Malleus maleficarum(魔女に与える鉄槌)』が挙げられる。魔女の実在と危険性を前提に、摘発や裁判手続(拷問を含む)まで整理したとされ、後世の魔女迫害の正当化・実務化に影響を与えた、と説明される。

北米でも知られる事例が1692〜1693年のセイラム魔女裁判で、植民地社会の政治・教会・家族間対立などが絡み、告発と恐怖が連鎖して多数が拘束され、処刑も発生した。欧州のピークよりは後期の出来事だが、「共同体の分断が“魔女”という名で可視化される」典型例として、現代まで繰り返し参照されている。


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