今回は心霊スポットの「幽霊坂」 「鈴ヶ森処刑場」をめぐるようです。
初期なのでまだゆるゆるな感じです。
三田の幽霊坂
三田の幽霊坂の由来
説1
坂の周辺地域には、寛永12年(1635年)の江戸城拡張に伴い、八丁堀より移転してきた寺院群が道の両脇に建ち並んでいました。そのため、昼でも幽霊が出そうなほど暗い場所であったか、またはそれほどに寂しい場所であったためか、周辺は幽霊の出るような雰囲気が漂っていました。明治時代には、文部大臣であった森有礼の屋敷が付近にあったことに因んでいると言われています。
説2
1970年代にですね30代のあの主婦の方がいたんですけれども 、夫に捨てられました。主婦の方はノイローゼになってしまって でそうです。結局その娘を自分のてべ 首をかっ切って殺してしまいました。主婦の方自身も後を追って首をつったと っていう事件がこの辺り寺ですね
アクセス
東京都港区三田4-11
鈴ヶ森刑場・・・歌舞伎・講談の舞台となった江戸の処刑場
鈴ヶ森刑場とは
鈴ヶ森刑場は、江戸時代に存在した処刑場で、1651年に開設されました。その名前は、現在の大田区に位置する大井村の隣の不入斗村(現在の磐井神社)にあった鈴森八幡宮に由来します。
この刑場は、東海道に面しており、1695年の検地では幅約74メートル、奥行き約16.2メートルの規模でした。刑場として使用された後、1862年に日蓮宗大経寺の境内に移されました。
歴史的には、慶安4年の由井正雪の乱に参加した丸橋忠弥が最初の処刑者とされています。他にも、歌舞伎や講談などで知られる人物がここで処刑されました。
現在では、鈴ヶ森刑場の遺構として、台石や首洗いの井戸などが残されています。また、近代以降には様々な供養塔が建てられ、その一部は現在も見ることができます。
現在はきれいに整備されていて、手入れも行き届いているようです。
アクセス
住所 〒140-0004 東京都品川区南大井2-5-6